昭和40年12月23日 月次祭
今日は皆さんに申し訳ない、お祭りになってしまいました。誠に相済まんことでございました。と云うのは、皆さんに前々から、ご通知申し上げとりました様に、今日は大坪の家の恒例の謝恩祭が、善導寺の親先生御祭主のもとに、今日の七時から奉仕して頂くことになっていたんです。それが、親先生のいろんな、御都合がございましてから、昼の祭に変更になりました。
それもこれは、宅祭だから信者一同のそれとは違うから、今年がいよいよ宅祭としては、最後のお祭になるだろうから、本当にしんみりと、大坪の内々でお祭りが仕えたいとこう仰る。それだけそういう具合いにして頂くと云うのであただにお迎えに参りまして三時からお祭りを仕えて頂くのがもう四時になりましたでしょうか。それでこの先程丁度六時半までかかりまして、親先生帰って頂いたんです。
ですから本当に申し訳ないですけども今日の謝恩祭のなごりがこのお祭りに残っとりますからそのつもりで拝んで頂き、けれども何がおかげになるやら分かりません。これは私の過去からの信心から申しますとですね、その事が必ずおかげの元になるのです。本当に沢山の信者にちゃんと言っとるとにいちいちその連絡する訳には参りません。そげなこと困りますから、今晩して下さいと言やあ親先生して下さったかも知れませんけれども、やっぱり親先生には親先生の御都合がある。
いやそれよりもっと私は御都合のおありになるのは神様の方がもっと御都合がおありになったのであろうと思うのです。で今委員長とも話したんですけれども、ハハアーこう云う様な御都、かえっておかげじゃったかも知れん。というのはこのお祭りが済んだら今日という訳にはいけんから二十四日か二十五・六日その頃を時期を見計らって年内にどうでも皆さんによって頂いて皆さんのご意見も伺いたい。
又聞いても頂きたいという様な話になっとったんです。ですからそれも勿論別にどうこうではないですけども、只皆さんの気持ちを聞かせて貰うたり、又委員長の話を聞いて頂いたりする機会に、いわば恵まれた訳でございます。年末のいわゆる差し迫った忙しい中に、又とてもこれだけの人が集まると云うことは、とてもでけんのです。同時に、私が思いますのはです、親先生の御都合も親先生もたたれる。
私も大坪の家もたつ、同時に神様の御都合も、成就すると云うことなるのです。神様の願いも成就する事なのです。だから神様これの方が、やはり神様の御都合であっただろうと、私は確信致しとるわけでございます。おかげ蒙りまして、今日そんなわけでございますから、誰しも知っておりませんでした。ですが本当に、大坪の内々だけでと云うことだったんですけども。
昼、今晩お参りがでけんから昼お参りをすると云う方達がやっぱり大体ここ一杯ございました。昼のお祭りが、それでもう結局大坪宅祭でなくてから、又その何時もの様な具合いなお祭りの感じで親先生お祭りにお仕えなった様に私は見受けました。そのお祝詞をお聞きになっておられた方はご承知でございましょう様に御造営の御成就が、御造営がすみやかに御成就になりますことを祈願して下さっております。
同時に私が来年五月から学院入学のことも奏上なっとりました。前々からうすうす話があっとったんですけども、まあだ御造営のことも半ばのことでもありますし、私としても皆さんとしても来年ぐらいに行って頂こう、又私も健康のおかげを頂いたらやらして頂こうと云うことになってたんですけども、まあその辺の事情が色々込み入った事情がございまして、どうでもやはり今日先程御直会差し上げる時です。
もうあんた大坪さん、どんこんでけんばのち、ちゃんと今日祝詞で神様にちゃんとお約束しとるのち。あんたもそのつもりで早う病院に行って診断書と履歴書を出さにゃいかんけん、手続きをする様にと云うことでございました。そこでです私が居りましても居らんなでも私が思い立ったならいざ知らず、皆さんが思い立ったならいざ知らず神様が先に立っておもいたって下さった事なんですから、私は成就すると思うです。
私は居なくても、問題は、その神様のお働きを皆さんが受け止めて下さりキャッチして下さる信心がです、足並みがです、揃っておかなければならない。その事なんです。今朝、朝の御祈念に岡崎さんが今毎朝、朝の日に参ってみえます。先生今朝方から面白い夢を見ました。どげな夢ば頂いたですか。ああたもう本当に、もやっぱご神夢と思わにゃおれない。と云うのはです、思いもかけないそのお夢であった。
と云うのはです、お猿さんが何か大きなものを一生懸命汗みずくになって抱えて居る。私はそれを頂いてからもう感激いっぱいで、感激と云うか何か感動しましてね、もう返事がでけませんでした。もうお猿さんと云えば違わんごと秋永先生のことじゃろと思う。ね、委員長である秋永先生がもうそれこそそれを汗水流してそれを一生懸命に抱えようとしておるところでやった。
そして御理解にね、みんながこれを持たなきゃお猿さんだけでは持てんと云う御理解を頂いとります。もう十五年も前でございましたでしょうか、私の行くところに久保山先生がそして秋永先生が、そして先程から御結界に奉仕しとりました正義さんが付いて回っとる時代の事でございました。みんなが私の本当にスカンピン時代なのです。大坪さんほんなこて貴方は現在の状態の時にです。
本当にああたが今話して居られる様に喜びが湧くとですかち、言ってから久保山先生が確かめて居られました。ところが私の心の中にはそれこそ喜びがたぎっとりました、もう熱もなからなければ寒いもございませんでした。もうちかいこともにございませんでした。それを言葉に云うならばほんなこつですね、神様からある時に私が長浜町の四畳半のいわば私の物置に使って居った家に私が住まわして貰い、八畳の方をある大変困ってる方に提供しました。
そこには勿論様々なござが四畳半のところに四・五枚敷いてある。お神様も隅にお祀りしてある。壁がこういう具合いにして張ってあると云う様なお家でございました。上はそのそのかわらでございましたが、漏りますから隣の方が漏らん様にしてあげましょうち言うてから上がったがよけ漏ってきとる、もう本当に雨が降る時には親子四人の者が隅の方に固まって休む場所のことでございました。
そん時私思いよりましたですね、もう私はこれ以上のものはなぁにも望まんと思いました。雨露凌がせて頂くと云うだけでも有難いと思うとりました。当時食事にもこと欠く様な状態でございましたけれども、こうして本当にまあお生かしのおかげを頂いとるのでございますから、もう本当に私の信心に依ってです、人が助かってくれさえすればよいと云うのが、まあそう思うておったかどうか分かりませんけれども、今考えてみますと、只その事の一念だけの様に思いました。
ですからもう本当の意味で寒いもなからなければ暑いもない。遠いもなからなければ、近いもないと云う時代でございました。そういういうならばスカンピンの様な所にです、秋永先生が毎日あの小屋の様な私の住まいに通ってきました。善導寺に帰りますと久保山先生が何処へ参りましても付いて回られました。正義さんはある事情で付いて来ることはでけませんでしたけれども。
当時神様が正義さんのことをお願い致しますと、今は丁度竹の子の様なもんじゃ、竹の子で食べてしまうよりか竹の子で食べるのは惜しい。これが本当の竹になる。どういう最高の身にでも使われる様なおかげを頂けれる様になって竹になって使えと云うて頂きよりましたが、おかげで段々その竹の役を務める様になっとります。と云う様に三人の方達がです、私に付いて回っとった。
私の配らして頂くところの吉備団子と云うのは、キビと云うのは岡山と云うことでしょう。団子と云うのはお徳のことでしょう。おかげのことでしょう。その団子を貰てからではありますけれども、やはり付いて回っとったと云う時代、秋永先生をお猿さん、久保山先生をキジを仰る。正義さんを犬と例えて御理解下さりよりました。ですからです、椛目にはです、私が日本一の旗を押し立ててです。
そういう一つの理想の本にです、日本一の云うなら富士山を目指してです、お互いが私が登っとるのでございますから、みなさんもやはりそこを目指さなければいかんのです。合楽と云う教会は必ず日本一になるのだ、合楽の信者は云うならば日本一の教会の信者と云うことになり、総代幹部と云うことになるのであり、婦人会であり青年会であると云う事になるのだと、そのくらいなです。
私は意気込みを持って、おたがいが、信心を進めていかなければならない。御造営の事に於いてもそうなのである。御造営が只成就する、と云う事だけではいけんのである。富永先生の、お祝詞の言葉の中に、御造営が速やかに相なります様にと、云う事でございましたけれども、私はそれの前に、私共の信心の造営が、為されなければならないと、云う事でございます。
云うならば椛目のみんながです、秋永先生タイプの人はお猿さんと思わにゃいけません。久保山先生タイプの人はキジだと思わにゃいけません。正義さんタイプの人は犬だと思わなければいけません。これがみんな桃太郎さんの本に寄らして頂いて吉備団子を頂かして頂きながらです、本当に鬼征伐に行かなければならないと云う時期がです、迫って居るのに返り討ちに出合う様なことでは困ります。
鬼の方が勝ちよりゃせんか、もちろん心の鬼のことなのです。わが心の中にです、こういう事では、おかげの頂けるはずはない。先日の御理解でも、どげな信心すりゃおかげが頂けるじゃろか、どげな信心すりゃおかげ頂けるじゃろか、御造営に、これこれのおかげを頂きたいが、ようやく第一回分の、納めることがでけたが、二回三回になって納めることがでけない。
こういう尊いことを願わして頂いとるのにどうして神様はおかげを下さらんのだろうか。どうしておかげを下さらんのであろうかと云うてです、一生懸命修行さして貰うたりお参りさして頂いたんでは何時まで経ってもおかげは受けられないでしょう。どういう信心すりゃおかげは頂けるじゃろうかじゃいけません。こう云うものがあっておかげ頂ける筈はないと云うものを掴まなければ駄目です。
これがあっておかげ頂ける筈はない、実意はあっても丁寧がない。実意丁寧であっても神信心がでけん。神信心は一生懸命朝参り夜参りをして信心はでけとるのだけれども、実意丁寧がない。どうすればおかげが頂けるかではなくてです、是ではおかげの受ける筈はないと云うものを、先ず私共はしっかりキャッチしまして、それを掴んでそれを改まって行く所の信心にならせて頂く所の信心にならせて頂く所からです。
信心の造営も期せずしてでけるでしょう。御造営に御用に立たせて頂くこともお役に使うて頂くこともでけるでしょう。お互いがです、お猿さんだけに生汗かかせずにです、犬も猿もキジもうって一丸になって足並みを揃えてこの事に当たらせて頂く。そして私はです、いかなければならないことになっておるのならば、これは皆さん私は思うとります。もう実を云うたら私はどうでもいいのです。
何時も委員長から怒られるんですけども、先生ああたそんなことを仰るならと言うけれども、云うならば合楽の御造営ですらどうでもよいのです。教師などは尚更なんです。私はまいっちょ、長浜町のあの時代に返ってもいいです。人が助かるなら。御造営とても私が思い立ったのでもなければ皆さんが思い立たれたのではない。神様が先頭に立ってお進みになっておられる神業なのだ。
それに御用さして貰う、それに帰依さしてもらう、それに便乗さして頂いて私共の信心の造営も又それに続かせて頂くと云うこと。岡崎さんが頂いておられます様に、大きなとてもいわば持てれると思われない様な大きなものに取り組んで、汗水たらしてそれを一生懸命頑張って居る姿を神様がおお夢に下さって、みんなもこれに協力しなければと云うご理解を下さったと云うことをです。
私どものもの一人、岡崎さんに下さるだけではない、皆がこのところを頂かして貰うてです、おかげをこうむらせて頂こうと云う気持ちになれたら私が一年でも二年でも留守致しましても人も助かるでしょう。ご造営もご成就になるでしょう。皆さんの信心のおかげも修行も成就するということになるでしょう。今日の謝恩祭に併せて、そして今年最後の月次祭ということでございましたけど。
只今申しますようなことで今日の大坪の謝恩祭を奉仕させて頂き、いわばあの感激のお祭り、皆さんに拝んで頂けなかったことが残念でございましたけれども、それも神様の御都合なのだ、これから委員長が一口ご挨拶を申し上げると申しとります。ですから皆さんそのことをお聞き下さって皆さんの思いも又発表して下さって、数日後に開かれる筈だったところの総会を今晩此処でです。
皆さんの一般の声も、聞かせて頂きたいと云う、幹部の方達の願いを、ここにおかげを蒙りたいと、思うておるので御座います。私は今日、玉串を親先生がお作りになられたり、あの仕手を大抜きを、お作りになっとります時に、私と親先生とそすと親先生の、大きい玉串を三本、お作りになりました。それで私が、親先生すいませんけれども、この大きかつに、もういっちょこの、大きな紙が付いた麻の付いた、もう二本先生作って下さいませんかち申しました。
そしたら恐らく宅祭が、今年最後でございましょうから両親に「 」持って玉串を上げて貰いたいと、私が申しましたら親先生も、大変感激しておられました。親に対する思いがです、それだけでも人に感激を伝えるのです。ましてそれが、神様に通わない筈がありましょうか。信心は天地の親神様が、私共氏子として親が子を思う思いをもって、接して下さるならば。
私共も又孝子が親に仕える、その思いをもって、神様に仕えさして頂くと云うことが、お道の信心の進め方だと、私は信念さして頂いております。どうぞ神様のお喜び頂ける思い、神様のお喜び頂けれる信心をです、目指さして貰いどうぞおかげ頂かして下さい。おかげ頂かして下さいと云う信心がです、只呪文の様に、この信心続けとったら何時かおかげになるじゃろ。
神様が思い立ちなさったつじゃけん、御造営がなるとはなるじゃろ、と云った様な事ではなくて、私一人が欠如したら、私一人がずるけたら、御造営がならんので、と云うくらいな思いを持ってです、皆さんが猿になり、キジになり、犬になった思いでです、桃太郎さんの思いに、いわゆる鬼征伐にです、参加して頂きたい。お道の信心と云うのがです、私が亡くなったら。
もう二代になったら、御比礼が落ちたと、云った様な事のない印をです。私が御本部に行っとる間にかえってこうした御比礼がでけたんだと、先生は居られなかったけれども、こういういわば完璧、完璧と云うとなんですけども、整うたところのお広前がです、これはでけたばってん、これはでけんと云った様なものでない整うたところのお広前がです、出来上がったらです。
]現在のお道の信心に対してです、様々奇愚の念を持ってる人達にです、一石を投じさせて頂ける御用にもなろうかと私は思うのであります。そういう意味合で、どうでも皆さん、ここに足並み揃えての信心、焦点を間違いのないところに置かせて頂いて、本気で一生懸命の信心をです、これではおかげを受けられん筈だと云うところを、ひとつ掴んで立ち上がらして貰うて。
そこを改まらして頂くところの、おかげを頂きたいものだと云う風に感じます。どうぞこのことをお聞きになってです、率直に皆さんのご意見も頂きたいと思いますので、どうぞようとお願い申し上げます。同時にもう本当に椛目は非常時でございますから、只今も本当にご直会でございますけども本当のご直会でございますけども、あのご直会が準備してございますからその後どうぞごゆっくりお直会頂いてお帰り下さいますようによろしくお願い申し上げます。